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第三話 休日の侵入

مؤلف: 海野雫
last update تاريخ النشر: 2026-03-03 19:00:31

 理人の管理が始まって一週間が経った。

 変わったことがある。食生活だ。毎日、手作り弁当が届く。メニューは毎回違っていて、どれも手が込んでいた。唐揚げをリクエストした翌日には、ちゃんと唐揚げが入っていた。二種類の衣で揚げ分けるというこだわりようだった。

 夕飯も作りにくると理人は言ったが、それはさすがに断った。弁当だけで十分すぎる。その代わり、教わった通り、スーパーやコンビニで弁当や惣菜を買うときはサラダを足すようになった。

 おかげで体調はいい。朝の目覚めが前より楽になった。午後の眠気も減って、仕事が前より捗る。今まで土日も出勤していたのが嘘みたいだ。

 久しぶりに予定のない土曜日。ゆっくり寝るぞ、と思っていた。

 それなのに。

 スマートフォンが鳴っている。枕元で、しつこく、鳴り続けている。

「……うるせえな」

 布団の中で唸った。無視してみるが、切れる気配がない。十回、二十回。あきらめる様子がまるでない。直はイライラしながら、画面も確認せずに電話に出た。

「……もしもし」

「先輩、おはようございます」

 爽やかな声が耳に飛び込んできた。理人だ。

「あ? 神谷か……。今何時だよ」

「九時前です」

「九時前って……。休みだぞ今日」

「はい。だから電話しました」

 意味がわからなかった。

「起きましたよね。準備して出てきてください」

「は?」

「買い物に行きます」

「……なんで」

「先輩の服を買いに行くんです」

「服? 俺、服いらないけど」

「いります」

 なぜか断言された。意味がわからない。

 直は布団の中で目をこすった。なんで休日の朝に後輩から電話がかかってきて、服を買いに行くと言われているのか。脳が追いつかない。

「俺は行かねえ。寝る」

「もう、先輩の部屋の前にいますので」

「……は?」

 嘘だろ。嘘と言ってくれ。

 直は布団から這い出て、玄関のドアをそっと開けた。

「おはようございます」

「ひっ!」

 本当にいた。

 理人がドアの前に立っていた。白いシャツにネイビーのパンツ。休日なのに隙がない。朝の光を受けて、端正な顔がやけにはっきり見える。対する直はヨレヨレのスウェットに寝癖だらけだ。差がひどい。

「とにかく、準備してください」

「……なんで俺の家知ってんだよ。教えたっけ?」

「社員名簿です」

「社員名簿って……住所見て来たのか」

「はい。十五分で出てこれますか」

 悪びれる様子がまったくない。直は呆れを通り越して、もうなにも言えなかった。

「……わかったよ」

 顔を洗い、歯を磨き、適当に服を引っ張りだして着替えた。鏡を見ると、寝癖がひどかった。水で押さえて、なんとか外に出られる状態にした。

 玄関を出ると、理人がスマートフォンをいじりながら待っていた。直の姿を見て、上から下まで一瞬で視線を走らせた。

「……それで出かけるんですか」

「うるせえ。文句あるなら帰れ」

「だから服を買いに行くんです」

 返す言葉がなかった。

 理人に連れられたのは、ターミナル駅近くのファッションビルだった。

「おい、どこ行くんだよ」

「服を買いに」

「だから、なんで俺の服を」

「先輩、私服がスウェットしかないでしょう」

「……悪いかよ。どうせ休みの日は家からでないし」

「これからはでます」

「は?」

「出かけることが増えますから」

 理人はそれだけ言って、ビルに入っていった。「なんで」と聞く隙を与えない歩き方だった。

 入った店は、直が普段くるようなところではなかった。けれど、並んでいる服のテイストは直の好きな系統に近い。カジュアルだが、だらしなくない。なんで自分の好みを知っているのか聞こうとしたが、理人はもう棚のほうに歩いていた。

 理人は迷いなく服を見て回った。手に取っては戻し、色違いを確認し、素材を指で触る。自分の服を選んでいるかのように手際がいい。数分で数着を手に取って戻ってきた。

「試着してください」

「早いな……。もう選んだのかよ」

「サイズは合うはずです」

 言われるまま試着室に入った。

 ぴったりだった――。

 トップスならまだわかる。体格を見れば、ある程度の見当はつく。けれど、ボトムスまでジャストサイズなのはおかしい。ウエストも丈も、試着して調整したかのように合っている。裾の長さまでちょうどよかった。

 カーテンを開けると、理人が目の前に立っていた。近い。

「どうですか」

「いや、お前……。なんでサイズわかったんだよ」

「見ればわかります」

「ボトムスまでぴったりだぞ。見ただけでわかるか、普通」

「先輩の体型は把握してますから」

 さらりといわれた。当たり前のような口調だった。

 弁当の味のことが頭をよぎった。甘めの卵焼きが好きだといったこともないのに、ぴったりだった。今度はサイズだ。

 こいつ、俺のこと詳しすぎないか。

 聞こうとしたが、理人はもう鏡越しに直の全身を確認していた。

「この色、似合ってます」

「……そうか?」

「はい。次、こっちも」

 二着目を渡された。それも合っていた。色もデザインも、自分では選ばないけれど着てみると悪くない。鏡に映った自分が、いつもよりましに見えた。

「気に入りましたか」

「……ああ。悪くない」

「では、もう一軒見てみましょう」

 理人は直の返事を待たず、もう歩きだしていた。

 三軒回った。どの店でも理人が選んだ服は直の好みに合っていて、サイズも外さなかった。二軒目ではジャケットを試着させられ、三軒目ではシャツを三枚比べさせられた。理人は自分のものには一切手を伸ばさず、ひたすら直の服だけを選んでいた。

 最終的にシャツを二枚とパンツを一本買った。理人は「よかったです」とだけ言った。

 自分のために、半日かけて服を選んでくれる人間がいる。付き合っていた彼女でさえ、こんなことはしてくれなかった。

 歩き疲れて、カフェに入った。窓際の席に座って、直はぐったりと背もたれに体を預けた。

「あー……疲れた。普段こんなに歩かないから、足が限界だ」

「体力なさすぎです」

「うるせえ」

 理人がメニューを差し出してきた。

「なにします?」

「んー……。あ、ベリーのタルトあるじゃん。それとダージリンで」

「了解です」

 理人がコーヒーを、直がタルトを注文した。運ばれてきたタルトにフォークを入れる。カスタードの上にベリーがたっぷり乗っていて、甘みと酸味のバランスがちょうどいい。

「うま……。甘いもの食べたの久しぶりだ」

「先輩、タルト好きなんですね」

「おう。昔からだな」

「……ですよね」

「ん? 今なんかいったか?」

「いえ。なにも」

 理人はコーヒーカップを口元に持っていった。その目がほんの一瞬、遠くを見ていた気がしたが、すぐにいつもの無表情に戻っていた。

 直がタルトを食べ終わるころ、ナプキンが差し出された。

「ついてますよ。口元」

「え? マジ?」

 慌てて口を拭った。恥ずかしい。二十七にもなって、口の周りを汚すなんて。

「……ったく。先に言えよ」

「今言いました」

「もっと早くだって」

 理人の口元がわずかに動いた。笑ったのか。この男の表情の変化は、いつも小さくて、見逃しそうになる。

 不思議な距離感だった。後輩のくせに遠慮がない。けれど、不快ではない。友達と買い物に来ているような気楽さがある。いや、友達とも最近こんなふうに過ごしたことはない。

 そのとき、「あれ?」と声がした。

 振り返ると、梨沙が立っていた。隣に彼氏らしい男性がいる。

「夏目くんと神谷くんじゃん。びっくり」

「橘さん、こんにちは」

「お、おう……」

「ふたりって休日も一緒なんだ。あ、もしかしてデート?」

「ちが――」

「橘さん、楽しんでますか」

 直の否定を、理人が遮った。質問で返している。否定も肯定もしていない。

「うん、彼と映画観てきたの。あ、そうだ夏目くん。このへん、よくくる? 私、ここの近くの明正大学の学祭に来たことあるんだよね」

「ああ、俺の母校だよ。明正大」

「えー、そうだったんだ。学祭すっごい盛り上がってたなー。模擬店めちゃくちゃ楽しかった。焼きそばがおいしくてさ」

「あー、うちのサークルの模擬店かも。俺、学祭で焼きそば焼いてたし」

「うそ、マジで? 世の中狭いねー」

 直の目の前で、理人がほんの一瞬だけ動きを止めた。コーヒーカップを持つ手が、かすかに強くなった気がした。けれど直がそちらを見たときには、もういつもの無表情に戻っていた。

「ねえねえ、今日はなに買ったの?」

「服。神谷に選んでもらった」

「えっ、神谷くんが夏目くんの服選んだの? それもう完全にカップルじゃん」

「違うって。管理の一環だとか言われて……」

「管理? なにそれ。ますます意味わかんない。ねえ、神谷くんどういうこと?」

「先輩の生活全般を管理してます」

「……ふーん」

 梨沙が意味ありげに笑った。

「じゃあ、邪魔しちゃ悪いね。また月曜日にー」

 梨沙がひらひらと手を振って去っていく。

「……デートって。なんで毎回そうなるんだよ」

「否定する必要がありますか」

「あるだろ。誤解されるだろうが」

「誤解されても、俺は困りません」

 直が言葉に詰まると、理人はカップを置いて、こちらをまっすぐ見た。

「先輩は困りますか」

「……困るっつーか、なんつーか」

 うまく答えられなかった。困ると即答できない自分に、少しだけ戸惑った。

 カフェを出て、もう一軒だけ店を回った。日が傾いてきて、ビルの谷間にオレンジ色の光が差し込んでいた。

 買い物袋を持って駅に向かう道すがら、理人が口を開いた。

「先輩、週末はいつもなにをしてますか」

「……寝てるか、仕事行ってるか、どっちかだな」

「やっぱりそうですか」

「なんだよ、やっぱりって」

「会社にいない週末は、ずっと家にいるんでしょう」

 直は足を止めた。

「……お前、なんで俺の休日の過ごし方まで知ってんだよ」

「先輩の生活パターンを把握するのは、管理の基本です」

「いや、把握って。いつ調べたんだ。聞いたことねえぞ、俺」

「観察です」

「観察……」

 平日の出退勤を見ていれば、ある程度は推測できるのかもしれない。けれど、週末に会社に行っているかどうかまで、普通はわかるものだろうか。

「先輩、金曜の夜に鞄に入れるものが多い週は、土曜に出社してます。少ない週は家にいます」

「……そこまで見てたのかよ」

「管理ですから」

 断定的だった。反論を許さない口調だった。

 なんだかぞわりとした。こわい、というのとは少し違う。気味が悪いのでもない。ただ、理人は自分のことを、自分が思っている以上に知っているのだと、じわじわと実感した。

 服のサイズ。卵焼きの味付け。休日の過ごし方。金曜の鞄の中身。

 全部、教えた覚えがない。

「来週の土曜日、空いてますか」

「……は? 来週も?」

「予定を入れておきましょう。どうせなにもないでしょうから」

「お前なあ……。さすがに毎週は――」

「毎週とはいってません。来週です」

「……」

 文句を言おうとして、やめた。

 どうせなにもない。その通りだった。理人に言われなくたって、来週の土曜日はいつも通り布団の中で一日が終わるだけだ。スウェットのまま、コンビニ弁当を食べて、スマホをいじって寝る。それが毎週の土曜日だった。

 今日みたいに外に出て、服を買って、カフェでタルトを食べて。そんな休日は、社会人になってから一度もなかった。

「……好きにしろよ」

 理人は小さく頷いた。

 駅で別れた。理人は直を改札まで送ってから、反対方向のホームへ消えていった。理人は会社から徒歩十五分のところに住んでいると言っていた。直の家は電車で三十五分だ。わざわざ逆方向に来て、一日付き合って、また逆方向に帰る。管理の一環だというだけで、理由はそれ以上説明しない。

 理人の背中を見送りながら、直は買い物袋をぶら下げた手を見下ろした。

 ショップの紙袋が三つ。理人が選んだ服が入っている。

 帰りの電車の中で、ぼんやり考えた。

 平日は弁当。仕事中はコーヒー。退社時間になれば迎えにくる。休日は買い物。来週の予定まで決められた。

 いつの間にか、理人のいない日がなくなっていた。

 嫌か、と聞かれたら、嫌じゃない。むしろ楽だった。誰かに決めてもらうほうが、なにも考えなくていい。ひとりで過ごす休日より、理人に振り回される休日のほうが、あっという間に時間が過ぎた。

 紙袋の中のシャツを指で触った。理人が選んだシャツ。理人が把握しているサイズ。理人が知っている、自分の好み。

 でも、それでいいのか。

 理人の顔が浮かんだ。カフェで聞かれた声が蘇る。

 「先輩は困りますか」

 困る、と言えなかった。それが少しだけこわかった。

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  • 気づいたら後輩に飼われてた   第十四話 噂

     金曜日の朝、久しぶりに直の家のインターホンが鳴った。 直はいそいそと玄関に向かった。「おはよう」「おはようございます」 玄関前に理人が立っていた。白いシャツにネイビーのパンツという、いつもの格好だ。肩に雨粒が少しついている。直は口元が緩みそうになるのを堪えた。「今日も雨だな」「一日降り続くようです。折り畳みじゃないほうがいいですよ」「おう」 直がしゃがんで靴を履いていると、頭上から理人の声が降ってきた。「……ひどいで

  • 気づいたら後輩に飼われてた   第十話 元カノ

     理人が距離を置いてから、数日が経っていた。 弁当はない。朝の迎えもない。帰りも別々だ。会社でも、必要最低限の会話しかしない。 これが、管理が始まる前の生活だったのだ。ほんの二か月前まではこれが普通だったのに、今は毎日がやけに長く感じた。 その日の夕方、直はひとりで会社の最寄り駅へ向かって歩いていた。六月の空はまだ明るくて、夕日がビルの谷間に沈みかけていた。「あれ、直くん?」 声をかけられて振り返った。見覚えのある顔だった。「……あゆみ?

  • 気づいたら後輩に飼われてた   第九話 空白

     熱は下がった。けれど身体のだるさは抜けなかった。 とはいえ、二日も仕事を休むわけにはいかない。直は重い身体を動かし、出勤の準備をした。 いつもの時間になっても、インターホンが鳴らない。理人が迎えに来ない朝は久しぶりだった。入れ違いにならないよう、理人にメッセージを送った。『今日、出社するから』 すぐに返信がきた。『すみません。今日は迎えに行けません』 来られないのか。理人は、直が昨日に続いて休むと思っていたのかもしれない。けれど、その一文にはいつもの「気をつけてください」がなかった。

  • 気づいたら後輩に飼われてた   第八話 看病

     朝起きたら、身体がだるかった。 頭が重い。関節が痛い。喉の奥がひりひりする。この感覚は知っている。「あー……やっちまったな」 電子音が鳴るまでの一分間がやけに長く感じた。 鏡に映った自分の顔はひどかった。目の下が赤く、唇も乾いている。体温計を脇に挟んで待つ。電子音が鳴るまでの一分間が長い。ピピッと鳴って画面を見ると、三十八度二分だった。「……だよな」 原因は心当たりがある。昨日の帰り道だ。 夕方から急に雨が降りだした。六

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